沖縄唯一の形式!安慶名城址(地元ネタあり)


2021年5月16日
テーマ:とくちゃんのオススメ グスク

はいさーい

とくちゃんです。

今回のグスク考察は

安慶名城址です!

地元では【アージョー】と呼ぶ。

子供の頃は闘牛も盛んで家族で遊びに行ったのを覚えています。

小さい頃は山(グスク)には登るな!登ったら幽霊でるよーと言われたりw

今回も入口に立っただけで、遊具で遊んでいる子供達が騒ぎ始めると言う変わらない光景があったのでほっこりしちゃいましたw

でわ。

出発です!

久々に来たので外周を一周途中に…

ん??と思う石積みが立派なお墓を発見!

思わずパシャリ。

実はこの辺の地域は

亀甲原という地名になっていたとのこと。

そう書かれていた本には

山(グスク)が亀の形に見えるからとありますが、これもしかして亀甲墓から来てるんじゃないか?!と妄想してしまいます。

であれば、あそこは行くな!

と言われてる意味がわかります。

(ま、昔から変な人が集まる場所(浮浪者、薬中、などなど。)なので親心としては近づけたくないですよね。)

安慶名城址跡は

森全体と自然の断崖と傾斜地をたくみに利用して築き上げた古城跡で岩と岩の間にも見事な技巧を持って石垣が積まれている。

森(ムイ)と断崖

内郭の城壁は、頂上全体を囲んで築かれており、この内郭の城壁を包むようにして外郭が築かれ、城跡全体の平面的構成は、やや輪郭式の形式になり、このような形式をなしているのは沖縄本島にはこの城跡だけである。

要塞感がスゴイ。

いやー

再発見多し!

保存状態良好!

スゴイ技術ですよ。

約650年前の技術とは思えません。

ここも伊波按司系統の分家にあたります。

側に流れる川が天願川と言うんですが

当時は付近の人は大川と呼んでいたそうで、別名、大川城とも呼ばれていたが、屋良の大川城、北谷の大川城と区別するために、安慶名大川城と言われたそうです。

川の下流に港を開いて、海外との貿易をしていた事が、城内の遺物から確認されている。

なぜ、繁栄していた城がどうやって落城してしまったのか?

ひとつの伝説(伝承)が

「昔、首里城主は、安慶名按司が次第に勢力を増して周辺を威圧し、ついに首里城主の領地までも侵略しそうな形勢にあることを恐れ、軍勢を派遣して安慶名城を攻めさせたが、安慶名城が要害堅固であったので、どうすることも出来ない。そのうえ優勢な安慶名軍の反撃にあって、ついに退却せざるを得なかった。ところが、安慶名城内には水がなく、下の大川から水を汲んでいると聞いた首里勢は、再び攻め寄せてきて水路を遮断したので、城内への水の補給が出来なくなり、とうとう降参した。」と伝えられている。

おそらくだが、尚真王時代の中央政権の政策に逆らったので、ついに攻め滅ぼされたのではないだろうか。とある。

伊波グスクもそうでしたが、抵抗する意思の強さが、今の日本と沖縄の関係を想像させるのは僕だけでしょうか。

この門を抜けると庭(ナー)が広がる

要塞感もあるが祭祀場感じとしてもある。

本丸があったと思われる所の空気感は、とても神秘的でした。

護られるというか、落ち着くというか。

写真には映らない、空気感。

ここはオススメですよ!

でわ!

ちゃんちゃん♪

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